宿への帰り道、リッキーが空を見上げながらつぶやいた。
「今日は人生最高の夜だったな」
「うん、間違いないね」
本心ではないが、僕もそれにこたえた。
ナイトクラブでのお互いの健闘を称え合うという美しい男同士の友情なんかではない。
収穫ゼロの男二人の単なる負け惜しみ、現実逃避、現実歪曲(自分の都合の良いように現実を解釈すること。スティーブ・ジョブズのような上級者は、解釈にとどまらず、部下を洗脳して自分の理想の現実に作り変える)である。
そんなみっともない男二人には、バリの神様からお仕置きが用意されていた。
宿に向かって歩く中、男3人組が僕たちを囲んで声をかけてきた。
僕は相当お酒が回っていたのだろう。彼らが何を言っているのか理解できない。
が、すでに事件は起きていた。
リッキーが、3人組のうち、後ろに立っていた男の腕を瞬時に掴んだ。その速さといったら、早押しクイズで答えを知ってる回答者の反応スピード並みだった。
腕を掴んだリッキーが男を鬼の形相で睨みつけて言った。
「おまえ、ぶん殴られたいのか」
一瞬のことで僕は状況を把握しきれなくて、喧嘩が始まってしまうのか、やめろリッキー、と思っていた。しかし、男の手を見ると、そこにはリッキーのiPhoneが握られていた。どうやら、ほかの二人が話している間に隙を見て男がポケットから抜き取ったようである。
リッキーはすぐにiPhoneを取り返して3人組に怒鳴りつけた。
「おまえら、オレが酔っ払っていると思ってなめんなよ」
リッキーは再び3人組を鬼の形相でにらみつけて、行くぞ、と僕の方を向いて言った。
いやいや、その顔は怖いから、せめてその表情を解除してからオレに話しかけてくれよ、と思いながらも僕はリッキーと共に歩き出した。
僕は終始、呆気にとられていたのだが、さすがリッキーである。1時間に7件の殺人事件が発生するブラジル(2017年のデータ)で生まれ育っただけあって、数回ブラジルに行っただけの僕の警戒心とはレベルが違う。
バリの神様が用意していたお仕置きも、幾度となく修羅場をくぐり抜けてきたリッキーの前では無に等しかった。
あとから知ったことだが、クタではこの手のスリの被害が多発しているらしい。僕のブログを読んでバリに行こうと思っている方は注意してください。
その後、何事もなく無事に宿にたどり着いた。徒歩3分の距離なのだから、これが普通のはずなのだが。
宿に着いてすぐに部屋へ向かうと思いきや、リッキーがプールへ飛び込んだ。水に浸かったまま壁にもたれ目を閉じた。
たしかに、このクソ暑いなかでプールに浸かるのは気持ちいいけど・・・なぜ、今なんだ。酔っ払っているリッキーをほっといたら溺れ死んでしまう可能性もある。
僕は、必死にリッキーをプールから上がらせようと説得した。
「リッキー、だめだ。ベッドで寝るんだ。起きろ、このままでは死んでしまうぞ」
一瞬、自分が雪山にいるのかと錯覚してしまったが、ここはバリである。それほど、僕もお酒が回っている。
それなのに、この男は手間かけさせやがって。飲みに行くと必ず酔っぱらいを介護するという僕の役は、ここバリでも変わらないようである。なぜだ。これが女の子なら、いろんな意味でやる気満々で介護するのだが。なぜリッキーなのだ。
誤解のないように言っておくと、決して僕は酔っ払っている女の子に襲いかかるタイプではありません。下心は持ちつつも、冷静に介護に徹してしまいます。
僕はリッキーの腕をつかんで引き上げようとするが、リッキーの巨体は重すぎて本人の意志がなければプールから上がってくれそうにない。
僕が必死になっていると、この二人、こんな早朝になにイチャついてるの、という目でひとりの女性が通り過ぎていった。
これでまた僕のモテ度が下がってしまったわけだ、などと思っている場合ではない。雑念を振り払って、僕はリッキーを呼びながら再び腕を引っ張ると、ようやくプールから上がってくれた。
それからふたりで部屋に戻って、僕はベッドに飛び込んで目を閉じた。
廊下のリッキーが通った部分は、もちろん水でビチョビチョになって気になるのだが、そんなことはもうどうでもよかった。
この夜は、人生で一番疲れた大晦日となった。
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