第94話 天気に逆らう子
この日はいよいよ、僕とリッキーが以前から企てていた計画を実行する日となった。
滝ジャンプに挑戦だ。
どうやらバリ島の北部のシンガラジャという地域に「ALING ALING WATERFALLS(アリンアリン滝)」と呼ばれる高さの違う3つの滝があり、滝の上から滝壺に向かってジャンプするのが欧米人の観光客に人気らしい。
ウブドからシンガラジャまでは約2時間半の道のりだ。僕は滝よりもむしろそっちの方に興奮した。
僕とリッキーは冒険の仕度をすると、午前のうちに出発した。
長い道のりなのでゆっくりと景色を楽しみながら行くのかと思いきや、リッキーの頭はそんなオシャレなことを思いつくようにはできていないらしい。
いつものようにグーグルマップで先導している僕など気にせずに、リッキーはぐんぐん加速していく。150ccのスクーターの最高速度と思われる時速100キロにすぐに到達した。それ以上は空気抵抗で車体が揺られて安定しないので危険だ。時速100キロが限界だろう。
前半はほぼ直線で、時折、前方を走る複数の車を時速100キロでかわしていく。時速100キロのスラロームはスリル満点だった。講師リッキーによって鍛えられた僕のライディング技術はここぞとばかりに本領を発揮した。
だんだん余裕が出てくると、周りの景色を見れるようになってきた。前日に見たような田園や青々とした緑の風景が広がっている。全身にぶつかってくる風が気持ちいい。ほのかに漂う木々のにおい、ほとんど雲のない女性の肌のように透き通った空。
この瞬間、僕は風景の一部となり、限りなく自由になる。この瞬間が僕は好きだ。
1時間ほど夢中で運転していると、大きな雨雲があらわれ瞬く間に空を覆った。そして、ポツポツと雨粒が地上に舞い降りてきた。
僕は「どうしようか」という風にリッキーを見た。リッキーは路肩を指差してスクーターを止める。僕もリッキーの後ろにつけた。
すぐに雨足が強くなってきたので、僕たちはクリーニング屋の軒先に避難した。10メートル先が見えなくなるほどの大雨だ。このまま走り続けていたら、ずぶ濡れになるだけでは済まなかっただろう。
家族で営んでいるクリーニング屋らしく、夫婦でアイロンがけをしている。店内から洗濯された衣服のいい匂いが流れてきた。そのにおいは、なぜか僕を落ち着かせた。
3歳くらいの男の子が母親の手をつかみ隠れながら、不思議そうにこちらを見ている。
僕は得意の変顔で笑かそうと試みたが不発に終わった。子どものそばで僕のことを無表情で見ているおばあちゃんが怖い。すみませんでした、僕は無意識にお辞儀していた。おばあちゃんも、いいよ、という風に無表情を保ったまま会釈した。
20分もすると雨は小降りになっていた。
リッキーと相談して、まだ滝まで1時間以上あるので、雨が完全に止むまで待たずにすぐに出発することにした。
リッキーがTシャツを脱ぎワイルドスタイルになったので、僕も師匠にならってTシャツを脱ぎメットインにしまった。二人とも下は海パンを履いていたので、これで雨で濡れてもへっちゃらだ。
小雨が降る中、僕たちは再びを滝を目指して走り出した。路面が濡れていて滑りやすいので、このときばかりはさすがのリッキーも少しスピードを緩めた。
雨が振ったことで少し気温が下がり、体に打ち付ける風が先程よりももひんやりして気持ちよく感じる。
最高な瞬間はそう長くは続かなかった。
道路の傾斜がだんだん急になってくると、周りの空気が急に冷たくなりだした。僕たちは周りが木々に囲まれた山道に入っていた。
冷たい走行風が容赦なくトップレスの僕の上半身に吹き付ける。僕の体は震えていた。乳首の立ち具合から判断して体感気温は10度以下だろう。そんな中でトップレスな僕は、凍死するかもしれない。
前方を走るリッキーは何事もなく走っているようだ。きっと脂肪が寒さから守ってくれているのだろう。
余分な脂肪などなく痩せっぽちな僕の体は芯から冷えまくった。
僕はかじかんだ手で30分以上運転しながら、精神力を保ちこの試練に耐え抜いた。
ついに雨は止み、雲の隙間から太陽の光が差し込んだ。徐々に気温が上昇し始めた。
僕たちは一旦路肩にスクーターを止め小休憩をとった。やはりリッキーは何事もなかったような顔をしている。
こんな理不尽なことがあってなるものか。僕がどれだけ死にそうな思いをしことか。
僕のがんばりはしっかりと記録として後世に広く伝えねばなるまい。僕はリッキーに頼んだ。オレを撮ってくれ、死ぬほどがんばったオレの姿を撮ってくれ。
読者の諸君、どうだろうか。死にそうな思いをしたのに活き活きとしているだろう。これが僕の人生だ。
とカッコつけて写真を撮ったのはいいものの、リッキーからスマホを受け取り、写真の中の自分の姿を見て冷静に思った。
気温10度以下でこの格好、自然をなめきっているとしか思えない。
アリンアリン滝への道はまだまだ続く。
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