恐怖の熱中症初体験

恐怖の熱中症初体験

あれは、2014年の7月下旬のできごとだった。

最低気温が10度以下にもなる乾燥した真冬のブラジルで、サッカースクールのコーチ陣とワールドカップを観戦したり、スクール生数人を現地のプロのチームの練習に参加させたり、というとても充実した1か月を過ごして、沖縄に帰ってきて二日後のできごとだった。

 

 

 

沖縄の真夏は気温30度以上。高温多湿で、外にいるだけですぐに汗が出てくるほど暑い。

そんな週末の日曜日、午前中には、熱気が立ち込める屋内フットサル場でのフットサルリーグの試合を一試合こなして、その二時間後に、カンカン照りの屋外でのサッカーの試合をこなした。

 

 

 

この日のサッカーの試合では、私たちチームのプレー人数が足りず、9人で試合をしていた(通常は11人)。

大量の汗をかいていたので、もちろん、その分たくさんの水やスポーツドリンクを飲んで水分補給を欠かさないようにしていた。

ブラジル滞在中も、帰国後の大事な試合に備えて、毎朝走って筋トレしていた私だが、試合中に疲労はとうとう限界に達していた。ダッシュをすると脚がつるという状況の中、負けはしたが、どうにか試合を無事に乗り切った。

 

 

 

それは、試合後にチームでミーティングをしている時に、ついに起きたのだった。

私が脚を伸ばして座っていると、何の前兆もなく、左足のふくらはぎが突然つり始めた。

あがががが!(沖縄の方言で痛いの意味)

ミーティング中だったチームメイトが一斉に私を見た。

私がつま先を掴んで異常な力で縮こまる筋肉を伸ばそうとすると、「オレも混ぜてよ」とさらに右足のふくらはぎがつり始めた。

それを見たチームメイトのRが心配して、私の足を掴んで筋肉を伸ばしてくれた。

それと同時に、今度は両足のハムストリング(太もも裏の筋肉)が「オレも混ぜろよ」と『痙攣フェスタ』に参加してきた。

 

 

 

こうなってくると『痙攣フェスタ』はさらに盛り上がりを見せ、両足の大腿四頭筋(太ももの表の筋肉)、腹筋、背筋と下半身から順序よくつり始めた。体中の筋肉が共鳴して『宴だ宴だ!』と騒ぎ始めたのだった。

もうどうしようもない。好きにしてくれー!
あががががか!

体が私の支配下を外れているので、叫ぶしかないのである。

 

 

 

そんな私をほとんどのチームメイトが『それは騒ぎ過ぎだろ』という冷ややかな目で私を見ていた。
しかし、その中でも、海上保安官でもあるKさんは違った。

仕事で応急処置を学んでいるKさんは、「これは熱中症の可能性が高い。救急車を呼んで、すぐに応急処置しなくてはいけない」と、応援に来ていたチーム関係者のTさんが用意していた冷たいおしぼりをいくつか取ると、まずは左右の脇の下に挟み、股間にも1つ突っ込んだ。(さすがにこれは恥ずかしかった)
それから冷水を私の体中にかけた。

さらに、近くの自販機でポカリスエットを二、三本購入すると、ほぼ全身をつって動けなくなっている私に飲ませてくれた。
もし私が女性なら、迅速で的確な対応をしたKさんに間違いなく惚れていただろう。

 

 

 

Kさんの賢明な判断と処置で体は少し落ち着いたようで、痙攣フェスタは中断期間をむかえた。

 

私たちのすぐ近くでミーティングをしたり、試合の準備をしていた他のチームの人たちは、只事ではないなと様子を見守っていた。

数分後、サイレンの音が遠くから聞こえ、だんだんとこちらに近づいてきた。待ちに待った、霊柩車ではなく、救急車が来たのであった。

 

 

 

Kさんが隊員に説明したあと、私は救急車に乗せられた。
病院に搬送中、意識がはっきりしている私は、隊員と楽しく会話していた。
「いやあ、2日前に真冬のブラジルから帰ってきて、真夏の沖縄での2試合は、さすがに体が耐えきれなかったみたいっす。笑」
「そうなんですね。ブラジルはどんなでしたか?」
などと、体が担架に固定されて自由に動けない中、唯一動ける頭部の脳と口が、それを補うようにフル稼働した。

 

病院に着くまでに、私のブラジルの話を隊員たちは興味津々に聞いた。

 

 

 

ようやく病院に着くと、医師や看護師に温かく迎えられ(そう感じた)、担架からベッドにスムーズに移されて病室へと運ばれた。

私のことを「ブラジル帰りのおもしろいやつ」と救急隊員が医者や看護師たちに話したのだろう。
私の予想よりも多くの人が、私のベッドを囲んでいた。熱中症の時も話を求められるとは、人気者も大変だ。
研修中らしい若い新人看護師までいるではないか。

 

 

 

さあ、お前らどんな話が聞きたいんだ、と私が思っていると、熱中症と診断して、採血したあと、三、四本ほど点滴をするということを説明して、医師はすぐに去っていった。

ちなみに、腹筋から上の大胸筋まで痙攣していたら、呼吸困難になって意識を失っていた可能性があったとのこと。ギリギリの状態だったようだ。

なるほど、熱中症で亡くなる人は、そうやって死に至るのか。酷い死に方だ。

 

 

 

先輩看護師が何やら新人看護師に針を持ちながら説明している。
経験を積ませるために、新人に採血させるのだろう。まあ、よかろう。

不安そうな表情の新人が私の腕を触りながら血管を確認して、ブスリと針を刺した。すると、たった今刺したばかりの針をすぐさま抜いた。

なぜだ!? そうか、新人だから失敗したのだろう。まだ慣れてないからな。一度くらいの失敗は許してやろう……。

 

再び針をブスリ。抜く。ブスリ。抜く。ブスリ。抜く。

(おい! オレは実験台ではない。熱中症で死にそうじゃなかったらぶっ飛ばしてるところだぞ。)

 

私の心の声が届いたのか、5回目でついに成功した。
採血のあと、よく見ると、なかなかの美人の先輩看護師が点滴袋をセットした。
「ゆっくり休んでくださいね」

そう言って新人を引き連れて病室を後にした。

新人よ、美人看護師の笑顔に免じて許してやろう。

 

 

 

病室に駆けつけてくれたチームメイトのTさんとYさんが、「何か飲み物を買ってこようか?」と聞いたので、私の大好物の「ミルクティー!」と即答した瞬間だった。

きっとすぐ側で、いつ私のブラジルの話を聞こうかと様子を伺っていたのであろう医師が、病室に入ってきて「ミルクティーはダメです。スポーツドリンクにしてください」と言って出ていった。

医師の指示なので、仕方なくスポーツドリンクを買ってきてもらって、それから少し寝て休むことにした。

 

 

 

ぐっすり寝ていたようだ。物音で目が覚めると、先程の美人看護師が、1本目の点滴が終わって2本目に取り替えようと、私のベッドのそばに立っていた。
「気分はどうですか?」
「少し良くなりました。ありがとうございます」
その途端、私の下半身……ではなく、手が美人看護師の存在を察知したようだ。突然、指先がつり始めた。
恥ずかしながらも、体がいうことを聞いてくれないので、つった指先を美人看護師さんにお願いして引っ張ってもらっていた。

わお! 女性の手は、なんと柔らかくて温かいのだろうか。看護師さんの優しさが伝わってくる。

手の興奮が治まるまで、美人看護師は手を握っていてくれた。

 

 

 

しばらくすると、私の手に飽きたのだろう。看護師さんは「もう大丈夫ですか?」と聞いてきたので、もちろん私(私の手)は「まだです!」と主張したが、それ以上は申し訳ないと思い、私の手を叱りつけて、看護師さんには「もう大丈夫です」と伝えると、彼女は去っていった。

それ以上私の手を握っていたら、彼女が私に惚れてしまう可能性もあっただろう。危険すぎる。

 

 

 

4本の点滴を終えると、まだ体が重たく感じるが、自力で歩けるほどには体調は回復して、すでに暗くなった外界に開放され、ようやく帰路についた。

 

その夜、昔のバイトの先輩に飲みに誘われたので、昼間に熱中症になったからアルコールは飲めないけど行きます、と返事した。

もちろん先輩に勧められてビールを飲んだし、帰りには締めのミルクティーを飲んだのは内緒の話である。

 

 

 

私を含めて世の中の大多数の人は、熱中症のことを甘く見ている。水分を取ればいいってもんじゃない。

私は人生初の熱中症になったおかげで、どこまでが体の限界で、もし熱中症になったときの応急処置、防止策を身をもって知ったので、世間一般の人よりも生存率が高い。どんなもんだい。

美人看護師さんに手を握ってもらったし、最高の『初体験』となってしまった。

 

 

ブラジルでやらかした話を、病院の人たちに披露できなかったのは残念ではあるが、またの機会にしよう。いや、また熱中症になりたい訳ではないですよー。

 

 

 

 

 

 

 

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