散歩中の侵入者
ある朝、近所の海岸で僕の日課となっている散歩をしていたときのことです。
散歩中というのは、朝のシャワーに次いで二番目にクリエイティブになれる時間という研究結果があるので、僕はこの時間をとても大切にしています。
何かいいアイデアはないかと思考を巡らせているので、誰にも邪魔をされたくない時間なんです。
それを踏まえた上で僕のお話をお聞きください。
いつも通りに思考を巡らせながら海岸を散歩していると、前方からひとりの男性がジョギングをしながらこちらに向かってきました。彼は突然僕の前で立ち止まり、こう尋ねてきました。
Excuse me. Would you mind taking a photo? (すみません。写真を撮っていただけませんか?)
僕は彼が普通にすれ違っていくと思っていたので、ちょっと驚いてしまいましたが、笑顔でこう答えました。
Yes!! (はい、いいですよ!)
英語を話せる人ならわかると思うんですけど、写真を撮ってあげてもいいなら、「Yes」と答えるのは、英語を習いたての日本人によくありがちなミスで、この場合は間違いなんです。
なぜなら「would you mind 〜ing?」を直訳すると、「〜することを気にしますか?」となるからです。
ですので、この場合は、「気にしませんよ」の意味となる「of course not」とか「certainly not」などで答えるのが正解なんです。
僕が笑顔で「Yes」と言ったので、彼は僕の表情から「OK」ということを察したのでしょう。「Thank you」と言って僕にスマホを渡しました。
僕は、彼が走りのポーズをしている写真を撮ってあげたのですが、それだけで終わりではありませんでした。
彼はさらに「僕が向こうから走ってくるのを動画で撮ってほしい」と言って、50メートルほど離れていきました。
僕は、1、2枚の写真だけだと思ってたんだけどなー、なんて思いながら動画を撮っていました。
そして、その動画を確認するためにスマホを彼に見せるのですが、その時の彼の立ち位置が、恋人同士かっていうくらい僕と近いんですよ。
完璧に初対面の人のパーソナルスペースを超えてましたね。
パーソナルスペースとは、他者が自分に近づくことを許せる限界の範囲、つまり心理的な縄張りのことです。誰かがこれより内側に侵入してくると(近づいてくると)、人は不快に感じたり落ち着かない気持ちになります。防衛本能が働いている状態になるのです。
Level.1 公衆距離:3.5m以上
講演会や公式な場で、話す側と聞く側との間に必要とされる広さです。自分と相手との関係が『個人的な関係』ではない『公的な関係』である時に用いられます。また、一般の人が社会的な要職・地位にある人と正式な会合・イベントで面会するような場合に取られるかしこまった距離です。
Level.2 社会距離:1.2m~3.5m
あらたまった場や業務上で上司と接するときにとられる広さです。声は届きますが、相手に失礼が無いように、手を伸ばしても相手に触れることができない、安心できる距離ですね。大きな机越しの商談などがいい例です。
Level.3 固体距離:45cm~1.2m
二人が共に手を伸ばせば相手に届く広さです。友人や会社の同僚など親しい人であればここまで入っても不快になりません。レストランやカフェでテーブル越しに話すくらいの距離です。お互いの表情が読み取れる距離感でありながら、両方が歩み寄ることで初めて手を触れ合える距離であることがポイントです。
Level.4 密接距離:0cm~45cm
手を伸ばさなくともボディータッチができる広さです。顔がとても近い位置にあり、キスやハグが容易にできます。家族や恋人など、親しい人がこの距離にいることは許されますが、それ以外の人がこの距離に近づくとハッキリと不快に感じます。
僕と彼との距離、5センチくらいでしたからね。なんなら、肩が触れ合ってましたもん。
内向型の僕は、以前までコミュ力を鍛えようと日々コミュニケーションの方法を試行錯誤していました。
そのときは、相手と仲良くなるためにパーソナルスペースを見ながらコミュニケーションを取っていました。
相手とちょっとずつ物理的な距離を縮めてみて、相手がその距離を保つか離れるかで相手との親密度が測れます。
この方法は、別に僕が特許を取っているわけでもなく無料ですので、どうぞご自由にお使いください。
最近は、そこまで新しい人脈を求めている僕ではないので、初対面の人には適度なパーソナルスペースを保ちます。
それなのに、それなのに、このおっちゃん、僕の鉄壁ディフェンスの領域にいとも簡単に侵入してきましたわ。
実はこのおっちゃん、中国系の顔立ちなんですよ。
差別や批判というわけではありませんが、中国系の人たちは列に並んでいるときに、少しでも隙間を空けると割り込みされるので前の人と隙間がないくらい近づくという文化的背景からか、日常でもパーソナルスペースが近い傾向にあると思うんですよ。
いや、この状況、絶対に割り込まれないからね!!
もし、僕に写真を撮ってもらうために大行列ができたら、全員のスマホを順番よく海に放り投げますもん。
彼が納得いくまで何回も写真と動画を撮ったあと、満足した彼は僕にこう言いました。
I really appreciate! Thank you so much!(本当に感謝しています。どうもありがとう)
そして僕は反射的にこう答えました。
You’re welcome! Have a nice day! (どういたしまして。良い一日を)
彼が走り去っていくと、先程まで思い浮かびかかっていた僕のアイデアも去っていきました。
僕の聖なる領域(パーソナルスペース)は侵され、貴重なクリエイティブな時間が奪われてしまったのです。
そこで僕思ったんですよね。
最初の「would you mind? (気にしますか?)」に対する「Yes」は大正解でしたね。
翌日の朝、僕が再び散歩をしていると、遠くからスマホをいじりながら走ってくる同じおっちゃんが見えました。
僕は、反射的にスマホをいじってるふりをして視線を下げ、終いには、彼から見えないように体を海の方へ向けるという行動をとっていました。
別におっちゃんのことが嫌いではないのですが、僕の体が拒否しているみたいです。彼が観光客で一時的な出会いだったらいいのですが、もし次に会ったら、僕の体はとっさに、彼に背中を向けてムーンウォークしていると思います。
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