第39話 アグン山の頂き
頂上で日の出を拝もうと、オレたちは疲労困憊になりながらも、過酷な岩場エリアを死に物狂いで登っていた。
軽いハイキングのつもりで来たのだから、手袋を用意しているわけもなく、氷のように冷たい岩を触るたびに、次第に手の感覚がなくなっていく。手を滑らせてしまえば、崖に落ちてゲームオーバーという死と隣り合わせの状況で、かろうじて集中力は保たれていた。
そんな中、まだ距離はあるが、ようやく頂上が見え始めたのだった。
人間の体というものは不思議なもので、どんなに体が言うことを聞かなくても、目の前に何か希望となるものがあれば、驚くほどの力を発揮するのだ。頂上が見えたことによって、とうに限界に達していた体に力がみなぎってきた。頂上までの最後の部分は、そんな不思議な力が後押ししてくれたのだろう。オレとゆうやは、4時間半ほどかけて、ついに頂上までたどり着いた。
山頂に立った瞬間、なんとも言えない達成感が、一気にこみ上げてきた。思わず「よっしゃー!」とガッツポーズをした。途中、何度も何度も「もう帰りたい」という心の声がささやいて、そのたびに「いや、大丈夫。きっとできる。あきらめるな」と言い返して自制心を保って、ついに報われた瞬間だった。
マルセロとタイサ、リッキーも遅れながらも、もうひとりのガイドともに、無事に山頂までたどり着いた。疲労で青ざめた顔をしているが、達成感に満ちた表情だ。目が合うと、死んだ魚のような目に生気が戻り、にっこりと笑った。
別の団体もすでにたどり着いていて、山頂は20人弱の人で埋め尽くされていた。その中に、先程の休憩時に話した外国人と日本人カップルもいて、「おつかれさま」と互いに健闘をたたえあった。
日の出の時刻が迫っていたので、ガイドたちが配る温かいコーヒーやビスケットをもらって、腰を下ろしてその時を待った。
日の出の時刻になっても、太陽は姿を現してくれなかった。空は雲に覆われていて、雲のないところだけが、太陽の光によって明るくなっている。せっかく頂上まで来て、日の出を見れないのは残念だが、頂上まで登りきったという大きな達成感のおかげで、そんことは気にならなかった。
3000mの高さから見る風景は、太陽がなくてもあまりにも美しかった。バリ島周辺の島々が一望でき、手を伸ばせば届きそうな距離にある雲たちや、街では味わうことのできなり澄み切った空気、すべてが文字通り新鮮だった。
先程まで日の出ばかり考えて気が付かなかったのだが、空が明るくなり、山の火口がはっきりと見えた。3000mのアグン山の火口までの深さをひと目見ただけで足がすくんでしまった。一瞬、日本でときどき見かけるニュースが頭をよぎった。
「日本人とみられる観光客が、写真撮影中にあやまってナイアガラの滝の滝壺に転落しました」
絶対にそんなふうにはなりたくない。本能が近づくなと警告しているように感じて、後ずさりした。
日の出が見れないとわかると、みんなでスタート地点でもらった朝食を食べることにした。メニューは、バナナ1本と食パン1枚、ゆで卵1個。10度以下の気温のおかげで、食べ物は驚くほど冷たい。なんなら少し、凍っているようにも感じる。わがまま言ってもいられないので、我慢して食べて、下山に向けて大切なエネルギーを補給した。せっかくガイドからもらった温かいコーヒーで温まった体も、冷たい食べ物のおかげで、一瞬にしてプラマイゼロになってしまった。むしろ寒い。
ある程度体力が回復すると、ガイドのおっちゃんたちが立ち上がり
「ボス、行くぞ!! ハハハハハハハ!!!」
とまた、怪しい笑い声で出発の合図をした。
他の団体も同じタイミングで、ぞくぞくと立ち上がって下山を開始した。
帰りは、重力も手伝って、のぼりよりも楽だろうと、たかをくくったのが間違いだと気づいたのは、下山を開始してすぐだった。
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